【自己紹介】 山田誠

 

栃木県佐野市のパーソナルトレーニング施設、K-Conditioning & Performanceの山田です。

 

 

トレーナーになったキッカケ

 

大学を入学する前までは、高校教員になり野球部の監督になりたいという夢がありました。

そのことを父親も知っておりその当時、父親はガンの闘病中の大変な時期に苦しみながら私に「誠は、人の話を真剣に聞くことができていつも誰かのために一生懸命だから必ず良い先生になれるよ」と言ってくれたことがとても思い出に残っています。

しかし、大学に入学して小粥先生(トレーナーの先生)に出会って人生観が変わり教員になることよりもトレーナーになった方が夢に溢れ、大勢の人を救えることに気付かされました。

 

それに加え、父親(鍼灸師)が夢半ばでできなかった開業して大勢の人を救いたいという夢がずっと私の頭の中に残っており父親ができなかったその夢を私が託されているのだと思いトレーナーとして生きていこうと決意しました。

 

そして、たくさんの方々のお力を借りてトレーナーの会社を設立することができて父親の夢に少しでも近づいているのかなと思います。

 

父親が天国で自慢できるような息子になれるように日々チャレンジしていきたいです。

 

“できるかできないか”ではなく“やるかやらないか!!”

 

私は、小学校から高校まで野球をやっておりずっと野球漬けの日々でした。

 

その中で中学生の頃、密かにロックバンドのL’Arc-en-Cielがとても好きでバンドを組んでL’Arc-en-Cielみたいになりたいという憧れがありました。

中学3年生の時にちょうどバンド好きの音楽の先生が赴任することになりチャンスだと思い弟子入りをすることになりました。

そして、学校の同級生と一緒にバンドを組むことになり「青春バンザイ」というバンドグループを立ち上げ文化祭の日に発表することになりました。

もちろんリーダーは私で担当も幅広くボーカル・ピアノ・ベース・ギターでした。

楽器の中でも一番ピアノが難しくその当時は、リコーダーを弾くのですら精一杯の状況だったのでもちろん悪戦苦闘・・・

周りの人からも「絶対無理だよ」などと言われてきました。確かに音符も読めないしリズムも取れない状況でした。その時、何を思ったか音符を読むのをやめようと思い先生の指を見て全て覚えようと思いました。

この策が功を奏して先生が驚くほどみるみるうちに上手くなりリズムも取れるようになっていきました。

そして本番・・・・

緊張はしたがミスもなくみんなからも感動したと言われて今まで頑張ってきて良かったなと感じることができました。

中学生ながらに感じたのは、人は“できるかできないか”ではなく“やるかやらないか”なのだということです。だから私は、人に接する時に無理だよとかできないよというのは言いません。必ずできる日が来る、諦めずに頑張り続ければ!!そんな思いが人々に広がれば良いなと思い日々指導をしています。

ps.またバンドやりたいな、、

 

 

My Dream

 

私には夢があります。

コンディショニングを通して人・町・国を維新することです。

まずは、私の地元である栃木県佐野市を維新してスポーツと健康に溢れたモデル都市にしていきたいと考えています。

そのためにもK-Conditioning&Performanceの認知度を高めていき地域の方々や市の役場の方々と連携して大きなイベントなど学校教育の一環として怪我の予防やパフォーマンスの向上などに入り込んで行けるようにしていきたいと考えています。決して一人ではできないことだと思います。町を変えたい、なんとしたいという熱い気持ちを持った方々がいらっしゃれば是非とも力を合わせていきましょう。

できないことはありません。可能性に溢れています!!

夢に向かって突き進みます。。